銘水「野土路の水」
応永年間(一三九四年~一四二八年)美作高田(現勝山町)を支配
していた三浦のお殿様が、見回りの時この水を飲み、「このように
おいしい水は、日本中どこを探してもない。」と誉めたたえました。
晩年、このお殿様が臨終の時、この水の味が忘れられず、もう一度
「野土路の水」を飲みたいから汲んで来るよう家来に命じました。
家来は、片道三十五kmもの道のりを歩いて往復するにはあまりにも
遠すぎて、お殿様の臨終に間に合わないと思い、八kmほど歩いた神代
(現勝山町神代)で谷水を汲んで引き返し、お殿様に差し出しました。
家来が途中から持ち帰った水とはしらないでこの水を飲んだお殿様は、
「長い間飲まないうちに野土路の水の味もずいぶん落ちたものだ。」と
嘆いて亡くなられたと言い伝えられています。
中国山脈の山深くにあるこの銘水を知る人も少ないが、美しい自然の
恵を受け、その当時のまま今も清らかな水が昏々と湧きつづけています。
新庄村