八咫の鏡由来
昭和三十三年七月十三日、作東町天王谷の小社(右方約三十メートルの山裾)より天皇家継承の印しとされる八咫の鏡が同所春名義雄氏によって発掘されました。
美作の東部、勝田郡植月地方には天皇家正統とする後南朝の歴史があり、史実を裏付けるものとして貴重な品であるが、現品は発掘者春名氏によって山口県の赤間神宮に奉献され安置されて居る。
一説によれば源平の興亡を極めた壇ノ浦の合戦において、土居・妹尾家(前方の山の持ち主)の先祖が、ひそかに、持ち帰ったものとのロマンに満ちた逸話もあり、よって安徳帝を祀った同社に奉献されたものか、発掘者春名氏も今は物故の人となり知るすべもない。
土居地区史跡保存整備委員会