交通の要衝・県北の商業の交流地点
東西に出雲街道が貫き、県北山谷から流れ出る支流が旭川に合流し、南北に続く備前道・備中道・大山道が交わり、古くから物流の拠点として栄えた町で、古い建物にその勢いが未だに残されています。大きな庄屋屋敷・一風変わった町屋が中心街に多数現存しますが、時代を連ねても変わらない実用本位の建築物は観光保存された町並とは違う控えめな存在感を宿しています。
中世の商業
高瀬舟や街道を通して、鉄・タバコ・木綿・米・木材・家畜などが集積・取引されるために商業の中心地となった久世には一世紀もの間幕府が代官所を置いて管理するほどの勢いを持ち、中世の産業を支えました。
町の景観
旭川に沿って高瀬舟の船着き場と、荷揚げのための広い河原があり、主要道が交わり、
支線として町の中心へ導かれています。旭川支流の合流点は木材の運搬に最適な筏場として利用されました。宿場町でもあり、町の一角に設けられる市場がありました。市場での家畜のやりとりが近世にも盛んになって伝えられ、豊富な獣肉資源からホルモンうどんなどの名物も生まれました。(特にホルモンなどと断ってありませんが久世地区の食事処では日常的に焼きそばやうどんにホルモンを扱う店があります)
歴史
古代、吉備と出雲接触の要衝として大和勢力が重視し、朝廷領として蘇我氏を派遣した地であり、屯倉(みやけ)と呼ばれる大和朝廷の穀物庫の中心地であったと言われています。
鎌倉時代、源頼朝の御家人、久世貞平が赴任したことから久世氏の所領となり久世庄となったことが地名の由来と言われます。
戦国時代は尼子・毛利といった有力大名の勢力圏の境に辺り、笹向城を中心とした攻城戦が繰り返されました。
自然
天然記念物のトラフ竹(虎斑竹)はヤシャダケに虎斑菌が寄生して虎の毛のような斑紋を生じたものです。