温泉の地
湯原は古くから湯治宿、津山藩の療養地として山中ながら発展しつづけてきた山間の郷です。江戸初期の諸国温泉鑑(かがみ)には最高位大関として「上州草津ノ湯」「丹州城崎ノ湯」があり、それに続く東の関脇として「作州湯原ノ湯」が記されています。
宇喜多秀家が母の湯治のため湯屋・寄宿十余棟を建設するなど歴代の支配者の厚遇を受け整備されてきました。
近世初頭に美甘惣兵衛が開発したのが起こりと言われます。またの名を宗玄といい、温浴のためか長命で101歳まで生きました。温泉之祖神として明治に建てられた顕彰碑が残っています。
歴史
戦国時代、尼子-毛利-宇喜多の接触地となりました。多数の山城が山中に破棄されていますが、温泉街の山側にあった湯山城では、対岸より渡河して押し寄せた毛利勢三千を牧左馬助が河向こうまで押し返し、追撃を行ったという激しい戦闘の記録が残っています。
中世は津山城森藩の所領でしたが、森家が没すると要職にあった家来が守護代として移り住みました。
自然
温泉と積雪が作る渓谷は野生生物の宝庫であり、周辺には天然記念物の生き物が多く生息しています。急流や洪水に適応した日本固有種のカジカガエル(牡鹿に鳴き声が似ていることから河鹿)、同じく日本の渓流奥にだけ生き残っているオオサンショウウオ(半分に裂かれても生きる生命力からハンザキとも呼ばれる)、清流に棲むと言われる
カジカなど水際に豊かな生態系を持っています。